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超マニアックな事情 (世界) ボクシング編 渡辺二郎 《世界統一戦》 追記版


☆渡辺二郎は、ほんの一瞬でも世界統一王者だったのか?

1984年7月5日 大阪城国際文化スポーツホールホール

WBC世界Jr.バンタム級(現 スーパーフライ)タイトルマッチ
━━ 『 世界統一戦 』━━

《WBA世界Jr.バンタム級王者 》 渡辺二郎 (大阪帝拳)


WBC世界Jr.バンタム級王者 パヤオ プーンタラット (タイ)


2対1 の僅差判定勝ちで渡辺二郎がWBC世界王座獲得

《事実上の王座統一》を果たした。

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《 》 の事実上の統一戦というのは

本来この試合はWBA WBC両世界タイトルを賭けた

『世界王座統一戦』だったが、
WBAが認めず、パヤオの保持するWBC王座を賭けた試合になった。 それにより、

渡辺二郎は、挑戦者、パヤオは王者で防衛戦の形になった。

WBAが、渡辺二郎のWBA世界王座を剥奪したのは、承知の通り。

問題は、いつの時間で剥奪したのか、


①渡辺がリングに上がった瞬間、王座剥奪。

②最終12Rゴングがなった瞬間王座剥奪。

③判定の勝者コールの瞬間王座剥奪。

④試合の翌日、(日が変わった)瞬間王座剥奪。
「これが事実なら渡辺二郎は、試合当日、日が変わるまで一日だけ、統一王者に君臨していたことになる。」


通説では、 ①の リングに上がった瞬間王座剥奪のことが雑誌等に掲載されている。

ただわかっていることは、

試合当日にWBAヒルベルト メンドサ会長直々に、渡辺二郎のWBA世界王座を剥奪の最終通告をした。

ここで、剥奪時間

渡辺対パヤオ戦の試合リング登場時間が、7 時 30分

試合終了、勝者コールの時間が 8 時 30 分

の剥奪報告が試合終了の後なら、渡辺は、わずかな時だけ、統一王者になったことになる。

☆WBA(エリアス.ペールワンコルトバ世界選手権委員長)は、試合前から『リングに入った瞬間渡辺はタイトル剥奪されるだろう。』と警告していた。 『しかしこれは、あくまで警告。』

日本ボクシングコミッションはこの《世界統一戦》を実現させたいため、渡辺を王者のままリングに上げたいため、に再考を願いをした。

しかしこれは、『国内向けの発言』なのだが、海外のマスコミが報じたため、WBAに耳に入り、
試合当日剥奪通告した。

もう少し追求 空白の一時間
「1984年WORLDBoxing8月号」

前途の渡辺王座剥奪最終通告が、試合当日のため、何時何分に通告不明なため、

渡辺二郎は、午後7時30分から 8時30分勝者コールまでの間、チャンピオンとして空白の時間を持っていた。


☆WBAの渡辺の世界タイトル剥奪理由

ランキング1位との指名試合を行わなかっため。

※しかし、渡辺は、3月に指名試合を終え防衛成功したので9月までには、猶予がある。

7月にパヤオとの《世界統一戦》を行っても問題ない。


1位エウゼビオ.エスビナル (コロンビア)の興行権を持っベネゼエラの大物であり、影のWBA会長といわれている ぺぺ.コルデロがこの《世界統一戦》に圧力かけたものとしている。


☆渡辺側がなぜ、『世界王座統一戦』をおこなおうとしたのか?

◇☆WBAと縁を切りたかったから!

前途のベネゼエラの大物ペペ.コルデロプロモーターはWBAでも権力を持っており、渡辺がWBA王座防衛していくと、WBAを通じて渡辺側に、不利な条件を押し付けて防衛戦を行わせる節があった。


たとえば、渡辺に不利な海外防衛、安いファイトマネー、試合を行う権利のある興行権を取り上げる。

このままだと王座を不利どころか、理不尽なことで王座を奪われ、金儲けできなくされてしまう可能性がある。

仮にこの試合WBA WBC両タイトルがかかった
世界王座統一戦で行い、渡辺二郎が両タイトル統一してもWBAは、捨てたと推測される。

ちなみに、渡辺の王座剥奪後、カオサイ ギャラクシー (タイ)が、エウゼビオ エスビナル(コロンビア)をKOで下し、19度の防衛成功した後王座返上。

◇渡辺二郎 対 カオサイ ギャラクシー の
世界王座統一戦の可能性は、あったのか?

☆可能性はなし、交渉もしていなかった。
雑誌の対談で渡辺氏とカオサイ氏はキッパリ対戦可能性を否定していた。

平成に入り、正式な世界王座統一戦が行われた。


☆2010年 4月30日
WBC世界バンタム級王者 長谷川穂積

WBO世界バンタム級王者 フェルナンド モンティエル

☆フェルナンド4RKO勝ちでWBC WBO世界王座統一

※この試合当時WBO非公認であるため、日本ボクシングコミッションは、長谷川勝利の場合、WBC11度目の防衛。

フェナンド勝利の場合WBC WBO王座統一として変則的に行われた。

☆2012年6月20日

WB世界Cミニマム級王者 井岡一翔

WBA世界ミニマム級王者 八重樫東

☆井岡12R判定勝ちでWBC WBA世界王座統一

この試合が『形式上初の世界統一戦』 となる

※正式上の世界王座統一戦、日本人初の統一王者は井岡一翔 (当時、井岡)

ほかに田口良一対ミラン.メリンド、他にあるだろが、割愛します。

この世界統一戦は日本のコミッショナー、ジムの会長、トレーナー、プロモーター、選手、等の夢があり、金儲けだけでなかった。

◇大阪帝拳ジム初代会長 吉井清 氏(当時 51才)
会長が現役王者招聘して、自分の選手を挑戦者として統一戦させる冒険は、普通はやらない、

渡辺が負けなくとも、引き分けでも無冠になってしまう条件で高額なファイトマネーを払い統一戦を行ったのは、渡辺二郎を信用していたのであろう。

◇本家 帝拳ジム会長 本田明彦 氏 (当時37歳)

統一戦実現させたのは、本家の力が大きい!

対戦相手の資料、分家のサポート等々

すでに試合が決定していたのに、WBAから渡辺の王座が試合前に剥奪されなかったのは、
分家の吉井会長や日本コミッショナーの情熱もあるが、ワールドワイドな力を持つ本家の強い力があったからだと推測される。



平成時代、ボクシング団体世界王座、乱発する中

昭和後期 団体はWBA WBCとわかれ,日本は2団体認定しかしていないものの渡辺対パヤオ戦は価値があった。
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ちなみに渡辺とパヤオは 1954年11月29日に熊本県立総合体育館でWBC世界Jr.バンタム級王座を賭けて試合を行っている。

渡辺が、王者であり、WBC王座初防衛戦 (通説ではV8戦)

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渡辺二郎の11R1分54秒TKO勝ち

渡辺の右フック再三炸裂!

渡辺二郎改心の勝利!


☆その後(引退)の渡辺二郎...


その後の渡辺氏は不祥事を何回か行い、世の中に誤解や迷惑をかけて、日本ボクシング界から永久追放された。
弁護するわけではないが、
ただ渡辺二郎氏が『本当に悪なのか?』である。

* 罪を犯したのだから、正義ではないのだが...


バブルがはじけ、事業も、うまくいかなかったからかもしれない。
渡辺二郎氏から離れていった人達もいたのかもしれない。
傷心の渡辺氏に手を差しのべたのは、893の親分かもしれない。渡辺氏は893になりたいのでなく、その親分に惚れ込みつくしたかったのかもしれない。


世の中は、厳しい、犯罪歴ない人でも1人もささええくれない人は、多い。

渡辺氏のいくつかの罪の一片は事実である。
本人も、雑誌の取材で認めている。

渡辺二郎氏が刑期終えてお迎えに待ってくれた一部の者には、大学時代の日本拳法部の後輩達がいた...

やはり罪を侵したのでつぐない終えても、尾ひれがつき、世間話の目は、厳しく、警察に常マークされ、つきまとわれるのであろう。

こはれだけさわぎをおかしたのなら、受け入れてくれる場所は、芸能界や8◇3の世界の人々しかないかもしれない。

ただ警察が罪を擦り付けている感じもする。

『集団ストーカー犯罪』みたいに、警察が、犯罪を増やし、警察の仕事を増やすため、逮捕ポイントをかせぐために巻き込まれている、、というのは、考えすぎか!?

それでも...

強いものが、強いからといって、弱い立場のひとに、強要、脅迫、立場を脅かすのは、よいとはいえない。


渡辺二郎氏は、世の中でも修羅場をくぐり闘って生きぬいた男、 いつか彼の中の事実、真実を語れる日かを願いたい。



*追記

渡辺二郎の世界Jr.バンタム級王座統一について

ブログ『 フシ穴の眼 』 にて


結論 渡辺二郎は、WBA WBC 王座を短い時間でしたか、統一しました。『 WBAの『『剥奪時間が不明のため、渡辺二郎の統一王者期間は、不明 』

○WBAは、渡辺がリングに上がった瞬間剥奪の予定でしたが、

本家帝拳ジムの本田会長が、WBAと掛け合い剥奪時間を変更させた。

それほどこの試合は、王者 対 王者 のメンツをかけた試合であり、大きな意義があり、このマッチメイクにかけていた。

*参考 当時のIBF世界Jr.バンタム級王者は、1983年12月10日大阪城ホールで春日井建5回TKO勝ちで初代王座に君臨していた 全周都 (チョン ジュド)

5度の防衛に成功、

(当時、IBFは、日本ボクシング協会 非公認だった)

1985年5月3日 ジャカルタにて、エリー ピカルに5回TKO負けで王座陥落。6度目の防衛に失敗。

少なくとも当時のIBFは、欧米のために設立した組織であるため軽量級は、レベルは高くないものとみられた。

ヘビー級、ミドル級、ウェルター級ためのタイトルみたいなもので、アジアは、数ヵ国しか、加盟してなかった。


現在、日本には、何人かの、世界統一王者が誕生しているが

ボクシング機関が分裂後、

渡辺二郎は日本人初の瞬き (まばたき)の
ボクシング世界スーパーフライ級統一王者

である。

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みなみに渡辺二郎が君臨していた1984年には、

IBF 世界バンタム級チャンピオン

新垣諭 (奈良池田)が、
日本人初、(沖縄人初)
IBF世界王者として、君臨していた。( 防衛1度 )

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日本人初のIBF王者 新垣諭

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  1. 2020/09/04(金) 15:45:20|
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